「よっと!」 軽業師めいた動きで障害物をかわし、中尉はそのまま一気に空へと駆け上がっていった。 残されたのは、唖然とした整備兵達と、憮然としたウィトゲンシュタイン大尉である。 「・・・まあ、腕はいいのかの・・・」 それにしても、乱暴な出撃である。 整備兵に聞いたところ、扶桑陸軍で使用している液冷エンジンは、カールスラント製の ライセンス生産品であるらしい.。 その点は問題ないにしても、他国のストライカーをフィッティングもせず飛ばすとは・・・ 肝が据わっているのか自信過剰なのか。整備に自信のある我が部隊だからいい物を。 ウィトゲンシュタイン大尉が考え込む姿は、もともとの立ち振る舞いもあって、無駄に 深刻に見える。周囲の整備兵達も、問われるまでは口を出したりせず、黙々と いつもの作業に戻っている。 「あの機材の担当者は?」 ハンガー中に響く鋭い声で、大尉が質問を投げかける。 名乗り出てきた二人は、実直そうな魔導機器関連担当の青年と、あどけなさの残る ソバカスの少年=エンジン担当であった。 二人とも、何かしらの叱責を受けるのではないかと不安顔である。 少年のほうなど気の毒なくらい蒼白な顔色で、青年の後ろに半分隠れる格好だ。 「あれを最後に飛ばしたのはいつじゃったかな」 質問には、まだ落ち着きのある青年が答える 「受領後のフィッティングと、テスト飛行のみですので・・・およそひと月半。  整備日誌を確認すれば正確な日付が出せますが」 ウィトゲンシュタイン大尉は鷹揚に手を振って返す。 「ああ、そこまでせずともよい。なるほどな。その間の整備状況は?」 「日常点検、週一の重点点検、全て日誌に残してあります。  最終飛行後にも、格別の異常は見られませんでした」 「そうか、ふむ」 大尉はまたしばらく考え込むと、ほれ、と右手を差し出す。 何事か、と目を見合わせた二人であったが、急に得心がいって目を輝かせる。 ツナギのポケットをごそごそと探り、スタンプの台帳をとりだす。 少年は手についた機械油をツナギでぬぐい、指先でそっと台帳をつまみ、また 手の汚れに気づいて拭きなおし、とパニック状態である。 「ええい、じれったい!」 大尉は、両手で少年の拳をつかみ、強引に台帳をもぎ取った。 大尉の細く白い指、普段の態度からなんとなく想像していた物より、ずっと繊細で 温かい手のひらの感触に、少年は頬を紅潮させる。 青年からも台帳を受け取った大尉は、二つの台帳にスタンプを押す。 「全く、黒田は乱暴な奴じゃ。わらわの機材で事故など起こされては迷惑じゃし、 後々扶桑との間で面倒の種になったやも知れぬしな。帰ってきたらきつく言っておかねば・・・」 そういいながら、ふと大尉は我に返り、顔をしかめる。 考え事をしながら合間合間の作業だったため、思っていたより余分にスタンプを押してしまったのだ。 「む・・・う」 またも無駄に深刻に見える表情に、二人が身を固くする。 が、いまさらうっかりスタンプ押しすぎました、何個か取り消す、とも言い出せない大尉である。 「ほれ、今日はサービスじゃ!」 照れ隠しからの厳しい口調で、二人に台帳を突き返す。 その内容を首を伸ばして見ていた周囲から、どよめきが起きるほどの大盤振る舞いであった。 この二人、主力機材との兼ね役とはいえ、使うあてなどないであろう予備機材の担当に 回されたときには、「無難」以上の評価など望めないと思っていたのだが・・・ 「黒田さんありがとう・・・」 整備兵達の中に、トラブルメーカー黒田待望論が生まれるのも時間の問題であったという・・・