--出撃-- 着任報告を終えた黒田中尉は、ウィッチ用の談話室を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。 当番兵から聞いたところでは、ウィトゲンシュタイン大尉、それにこの部隊もう一人の大尉、 ロマーニャ空軍のアドリアーナ・ヴィスコンティ大尉共々、現場主義でハンガー横の 簡易休憩室にいることのほうが多いとのこと。 もっとも、ウィトゲンシュタイン大尉に関しては部下の仕事ぶりの監視という意味合いが 強いようではあるらしい。 「これで簡易ねえ・・・」 高級ホテルの一室かというような内装に、黒田中尉は苦笑した。 扶桑の華族、黒田家とはいえ、分家出身の中尉である。 ひもじいという思いはなかったものの、華族というイメージからかけ離れた慎ましい 生活を送っていた中尉にとっては、基地設営に関して、「貴族様のお住まいだから」 という過剰な気遣いがされた感は否めない。 むしろ、個人の趣味でまとめられたグリュンネ少佐の執務室のほうが、よほど 落ち着いた雰囲気である。 「金持ってるって思われてるんだろうなあ」 溜息混じりに呟く。 ただ、ドア一枚向こうはハンガーに直結する廊下であり、高級な壁紙に遠慮なく画鋲で留められた 種種の工程表、スケジュール類に現場の空気が漂っている。 そこにも人がいないことを確認した中尉は、ハンガーへと向かった。 追々新型ストライカー受領の際は、扶桑から技師が派遣されてくるだろうが、しばらくは 現地部隊のお世話になるだろうし、挨拶しておきたかったのだ。 「おや、新入りさんか」 ハンガーの入り口そば、濃い影の一角に、そのウィッチはいた。 南欧人らしい健康的な肌色に長身、軽くウェーブした濃い赤栗毛の髪、黒いダブルの軍服を きっちりと着こなし、ループタイの留めには、長い体をくねらせる竜がデザインされた ブローチが輝いている。 「アドリアーナ・ヴィスコンティ。ロマーニャ空軍大尉だ。よろしく。」 もたれかかっていた壁から背を離し、こちらに歩み寄ってきただけの動きにも、 しなやかさと力強さを感じさせる。ブルーグレーの鋭い目つきと相まって、 大型のネコ科肉食獣のようだ、黒田中尉は連想した。 「こちらこそ、黒田那佳、扶桑陸軍中尉です。よろしくおねがいします」 「ああ。上では黒田中尉は私の指揮に入ってもらう。ま、気楽にな」 「あ、そういえば」 中尉は少し気になっていたことがあった。 「ウィトゲンシュタイン大尉はナイトウィッチなんですよね。戦闘隊長職って難しくないですか」 「おっと、本人のいるところでとは度胸があるな、黒田中尉」 ヴィスコンティ大尉がくいっと親指で指したハンガー奥には、忙しく整備兵に指示を出す ウィトゲンシュタイン大尉の姿があった。 「わちゃあ・・・、いえその、能力的なことでなくて睡眠時間とかなんとか、大丈夫なのかなって!」 慌てるあまり、最後のほうは叫び声のようになってしまった中尉を目に、ヴィスコンティ大尉は くっくっと小さく笑っている。 「姫様の説教につかまったか。不運だな、いや迂闊と言うべきか。がんばれよ黒田」 「聞こえておるぞ、ヴィスコンティ大尉」 「おっと、失礼」 「全く・・・まあよい、そう見られても仕方のない部分もあろうからな」 この反応にヴィスコンティ大尉は、ほう、と言った反応を見せる。 「昨日の夜間哨戒でなにかいいことでもあったかな。すぐ態度に出るタイプなんだ」 「へえ・・・」 ヴィスコンティ大尉に耳元でささやかれ、黒田中尉は返事を返す。 「だから、聞こえておるわ!」 なにやら顔を赤くしたウィィトゲンシュタイン大尉は、既にやりとりの主導権を失いつつあるようだった。 「実際のところ、昼間戦闘に関しては、そちらのヴィスコンティ大尉に一任しておる。  黒田中尉も基本的には大尉の指揮下で戦ってくれればよい。 夜間哨戒任務や、緊急時  には私の指揮下となる」 「はあ・・・」 詰まるところ、どういうことなの、と言う黒田中尉の疑問には、ヴィスコンティ大尉が答えてくれた。 「いわゆる政治的な決定という奴でね。カールスラント軍人が戦闘隊長という看板、これが  部隊設立の合意に必要だったのさ」 「言いたい放題言ってくれるな。じゃが、戦場での働きに関して、私もその部下も、後ろ指を 指される謂われはないぞ」 「実力に関して疑いはないさ。それに、多国籍部隊の隊長職なんて、書類仕事を考えたら 寒気がするよ。そんな厄介事、引き受けていただいてこちらも感謝している」 「口の減らん奴じゃ・・・能力に応じた職責に応えられんようでは、家名を背負って 戦うことなど出来はせんぞ。ただでさえ、貴族という者は・・・」 そこまで言ったウィトゲンシュタイン大尉を、ヴィスコンティ大尉がさえぎる。 「”高貴なる義務”ってやつかい?中世の戦争なら立派な心がけと言いたいが・・・  時代が違うし、何より相手が違う。・・・私たちの敵は、人間ですらないんだ」 「・・・わかっておる」 「名乗りを上げれば、ネウロイが正々堂々の一騎打ちをしてくれる訳じゃない。  この戦いは、貴族だけの義務でも、まして責任でもないんだ」 「わかっておるわ!」 「・・・わかっているなら、いい」 そう言ったヴィスコンティ大尉の目には、憂いのような、相手への心配の色が見えるようだった。 「ええっとぉ・・・私のせいですか・・・」 自分の軽口が原因で作った空気に耐えかねたものの、どのタイミングで入っていけばいいのか。 そんな黒田中尉の悩みは、基地に鳴り響いた警報音で吹き飛んだ。 「敵襲!!」