《魔法都市グランベルへようこそ》  ユウこと、ユーロシア・アルコットは前を歩く黒衣の青年、カロン・F・イルナリスの背中を追う。歩く動きに合わせて緩く波打つ明るい栗色の髪を飾る青いリボンが風に踊り、どこか楽しげだ。そう思わせるのはそれだけでなく、澄んだ空のような蒼の瞳は期待に輝いている。 「ねえ、カロン」  前を歩く恩人でもある青年に声を掛けると、彼は振り返らぬまま、 「何だ?」  と、憮然とした声で答える。  ユウは少し早足で彼の横に並び、その横顔を見つめる。ユウの背は平均的だが、彼の方がやはり背が高いので、見上げる形になる。  髪色は黒に近い暗紫。染めている訳ではなく、地毛だというから驚きだ。そして、瞳は北方の氷雪を思わせる淡青色。だが、ユウはカロンが冷たい人間でないことを知っている。 「どこに向かってるの?」  別に付いて来いとは一言も言われていないが、不機嫌な顔で闊歩するカロンの姿を見付け、思わず付いて来ている次第ではある。しかし、どこに向かっているのかさっぱり見当もつかない。目的がわからないのももちろんだが、それ以上に土地勘がない。  ユウたちが歩いているのはフロイス市議会連邦に属する市、グランベルに設立されたトライ・クローチェ魔法学院の広大な敷地の一角だ。土地勘がないのは当然で、ユウは昨日ようやく学院の寮へ荷物を運び込むために来たばかりの新入生。  カロンはというと、彼の場合は新入生というとやや語弊がある。確かに、今年新たに入学する訳ではあるが、実を言うと四年前に在籍していて、退学になったことがあるらしい。退学の理由を詳しく敷いたことはないが、カロンの両手首をつなぐ鈍色の鎖を見れば、結構重大なことをやったのは推測できる。 「……教員詰所だ」  視線だけをユウに向け、言葉少なに答えたカロン。ユウは教員という単語を聞き、そして、ある程度の理由に思い至った。 「ツキノ教官に呼ばれたの?」 「ああ」  当たっていたらしい。即座に頷きを返したカロンは眉間に寄ったしわを黒い手袋に包まれた指で解し、 「用事があるから来いと、式神を寄こされた」 「式神……って、東方で無機物の使役に使う魔法だっけ?」 「そうだ」  ユウは入学前にカロンに散々仕込まれた知識の中から該当するものを引っ張り出すと、カロンが正解を告げる。ユウはそのことがなんだか嬉しくて頬を緩ませるが、カロンの不機嫌そうな顔を見て慌てて表情を引き締める。 「でも、わざわざ魔法を使ってまで呼ぶからには大事な用なんじゃないの?」  一応言ってみるが、ユウよりも遥かにツキノの人となりを知っているカロンは首を振り、 「あいつの用事で本当に大事だった場合、自分で出向くさ。そうでない以上、下らない雑用と推測できるからな」 「ああ……」  ツキノとは二ヶ月程度の付き合いだが、カロンの言わんとしていることは理解できる気がした。だから、曖昧な答えを返し、苦笑して見せる。  カロンはそんなユウの表情を横目で見て、いつまでも不機嫌になっていても仕方ないと判断してか、唐突に話題を変えた。 「入学そのものはまだ先だが、ここには慣れそうか?」 「う〜ん……まだ着られてるって印象が強いから不安だけど、カロンたちがいるし、大丈夫だと思うよ?」  自分で言う通り、支給された黒を基調とした制服はまだ馴染まない。体に、というよりは、心がまだここにいるという実感を得ていないのが半分と、期待のあまり浮ついてるのが半分といったところだ。 「まあ、お前ならどこにでもすぐに慣れるだろうが、何時までも私たちにべったりという訳にも行かないだろう? ただでさえ、お前の立場は微妙なんだから」 「立場ね……」  まあ、カロンの言うことももっともだとは思う。彼に叩き込まれた知識のおかげで入学試験は断トツの成績で通過出来たし、それ以前にこの黒衣の魔法使い・カロン・F・イルナリスの弟子という立場がある。カロンの有名さは退学の件もあるにはあるが、それ以上に、屈指の魔法使いとしての有名さがある。 「でもさ、カロンだって一から入学し直しなわけだし、そこまで気にする必要ある?」 「気にしないというお前の神経に驚嘆を覚えるよ。周りを見てみるといい」  溜め息をつかれた。ユウはむっとしてカロンに言い返そうとしたが、言われたとおりに周囲を見回すと、多くの視線に気が付く。 「あー……」  意味もなく呟いてみる。言われてようやくわかったのだが、すれ違うほとんどの人たちから視線を向けられていたのだ。無論、制服でない黒衣を纏ったカロンに向けられるものも多いが、少し意識すればユウ自身にも向けられている視線もかなりのものだとわかる。  急に意識したからか、急に恥ずかしさが込み上げてきた。足早に歩くカロンの横にぴったりと並び、俯き加減になる。 「カロンって、普段からこんなに注目されて大丈夫なの?」  視線を実感として得たことにより、いつも平然としているカロンの態度が逆に気になった。 「最初は流石に戸惑いもしたが、いちいち気にするだけ馬鹿らしいと思うようになった」 「じゃあ、あたしもすぐに慣れないとね……」  気合でどうにかなる話ではないだろうが、心構えをするに越したことはない。  だが、それにしても遠い。かなり速いペースで歩いているにも関わらず。目的の建物らしきものは一向に見えてこない。 「教官詰所ってそんなに遠いの?」 「月乃は魔法武技(アルティアム)の教官だからな。敷地の端にある野外演習場の横に詰めている。遠いのも当然だろう」 「ああ……」  入学の案内に同封されていた敷地の地図を思い浮かべ、端の方にそのような施設があることを思い出した。 「でも、魔法武技(アルティアム)って、守備隊に必要な教科じゃないっけ? なのにそんなに端っこなの?」  魔法学院の生徒は大きく分けて三つの進路がある。一つ目が市直轄の研究所の研究員。ここが一番の花形と言われている。二つ目は、学院の教官となる道。地道な職ではあるが、他者に教えなければならない性質上、かなりの知識と経験が必要となるため、実力は研究員よりも上である場合も多いそうだ。そして、三つ目が守備隊への配属。軍という組織形態を持たないフロイスにおける唯一の武装組織だ。当然、戦争が起これば派兵され、普段も国境の警備や各市街の警邏に当たっている。 「一番派手だからだ」 「派手?」  カロンの答えはユウには理解しづらいものだった。ユウにとって魔法はそもそも華々しい。言ってしまえば、派手なものであるので、それをわざわざ派手と言い表したことに首を傾げた。 「お前が実際に見た魔法はセシリアのものがほとんどだろうから、派手なのが当然と思っているかも知れないが、実際はもっと地味なものだぞ? あいつはいちいち派手好きなんだ」  言われて、人生初の魔法経験を思い返してみれば、確かに必要以上に派手だった気がしないでもない。  この一年でカロンが日常で使った魔法はどちらかというと他の道具でも十分に代用可能な範囲だったため、確かに華やかな印象はなかった。だが、ユウの感想としては、カロンの魔法の使い方というのは物凄く洗練されているように見えた。無駄がない、というのだろうか。 「で、魔法武技(アルティアム)は魔法効果と共にいかに相手を怯ませられるかという心理影響を考慮して見た目が非常に派手になりがちだ。つまり、そんな魔法を研究者志望の生徒が繊細な魔法制御をやっている真横でやったらどうなる?」 「邪魔……だね」  ただでさえ研究職は花形。優先順位としては当然なのかも知れない。 「でも、いちいち移動が面倒だよね、この学院って」 「最初だけだろ、そう思うのは」  素っ気なくカロンは言い、それきり口を閉ざした。  黙々と歩くユウとカロン。カロンは全く気にした素振りも見せないが、相も変わらず新入生のみならず、上級生からも無遠慮な視線を向けられ、ユウは身を小さくした。  そういえば、カロンと出会ったのは去年の六月だったか。ユウはその時のことを思い返した。        ∴  法歴一四九二年六月。ユウはグランベルの堅固な城門をくぐった。  ユウは内側から城壁を見上げ、そこに施された魔法陣を凝視するが、知識のない彼女には難解な図形と文字の固まりにしか見えない。それを残念に思いつつ、しかし、希望に満ちた瞳で魔法陣を目に焼き付け、その場を後にした。  ユウの格好は基本的には茶色のマントに革のブーツという、いたって普通の旅装。だが、彼女が背負う荷物は観光旅行にしては多く、鞄がパンパンに膨らんでいる上、入りきらなかった荷物は紐で括られたりぶら下げられたりしている。中には鍋などの金物もあり、彼女が歩くたびにそれらがぶつかって騒々しい音を立てているせいで衆目を集めている。  ユウは手にした古びた観光地図を見つめる 「こっちでいいはずなんだけど……」  地図の通りに進んでいるはずだが、なにぶん、地図そのものが古い。目じるしが描いてあっても、実際には目じるしがなかったり、あったとしても場所が移っていたりして、簡単には目的地にたどり着くことはできない。苦労してさまようこと一時間強。ようやく地図の目じるしと符合するところにたどり着き、努力が報われたと少女が喜んだのは束の間。 「なによ、これ……」  驚きに瞳が見開かれる。期待していた光景に、ではない。観光地図に描かれていた光景との落差ゆえだ。絵に描かれたような雑多な賑わいはおろか、人っ子一人見当たらない。その上、通りは薄暗く陰っており、雰囲気があるといえば聞こえがいいが、実際は空気が湿っており、路地裏に迷い込んだのではないかと少女に思わせた。 「間違えた……わけじゃないみたいね」  もしかして、と思って視線を向けた先には傾いだ上に半ば腐った木看板がある。そこにはかすれた、しかし、読み取ることが可能な字で『魔法街本通り』と記されていた。  なんの冗談だと、少女は観光地図の絵と通りを見比べてみるが、その落差は埋まるはずもなく、むしろ、現実を突き付けられただけであった。 「移転?」  その可能性はなくもない。なにぶん、彼女の手にした観光地図は古いものであり、記された情報が古いものであるのは言うまでもない。ならば、魔法街自体が移転した可能性も十分にあった。  どうしたものかと思考を巡らせていると、通りに面した扉が軋んだ音を立てながら外側に開かれ、顔から足元までを黒衣で包んだ人物が姿を現した。  旅行者がこのような路地裏のような場所に用があるとは思えないし、現地の人なのだろうが、随分と怪しい風体だ。  彼か彼女かは不明だが、こちらの視線に気が付いたのか緩慢な動きでこちらに顔を向け、そして首を傾げる。 「旅行者らしいが、このような所に何用だ?」  問う声は柔らかくも芯の通った男のものだった。ユウはその人物に若干の警戒心を抱きながらも、 「魔法街って……ここですよね?」  恐る恐る問うが、彼はしばし黙り込み、視線だけがユウの全身を舐めるように見た。それから数秒してからようやくといった感じで、 「ここだった、と言うのが正しいな」  そう告げ、顔を隠していたフードとその下の口布を外す。見えた髪色は薄暗いせいで最初は黒に見えたが、よく観察すると色の濃い紫だということがわかった。瞳は氷雪を思わせる淡青色。切れ長の目と合わせて怜悧な印象を受ける。 「魔法街はすでにこのような廃墟になってしまった訳だが、ここに何か依頼でもしに来たのか?」 「あ、そういうんじゃなくて……」  しかし、初対面の人間にいきなり理由を言うのも憚られ、ユウは俯いて口籠った。  男も急かす訳でもなく、ただ俯いたユウの頭を見ているのがなんとなくわかった。  理由を言うべきか逡巡した。だが、結局動かなければ状況は変わらないのだと考え、顔を上げ、 「あの」 「なんだ?」  ユウが声を発すると、即座に男が応じる。ユウは息を吸って心を落ち着けてから、 「あたし、魔法使いになりたいんです。それで魔法街に……」  言葉が尻すぼみになる。  男が近付いてくる。遠目からでもでも整っているとは思っていたが、近付いて、さらに目を覗き込まれてユウは思わず頬を赤くした。 「それは本気か?」  間近での問いユウは言葉ではなく、首を振ることで答える。男はすっと体を離すと、 「なら、私の弟子になってみる気はないか?」  そう、意地の悪そうな笑みを浮かべて彼は言った。ユウは呆然とし、そして、反射的に頷いてしまった。  それが黒衣の魔法使いカロン・F・イルナリスとの出会いだった。        ∴  思えば、あの出会いはセシリアという魔法使い、正式には魔導師によって仕組まれていた出会いであった訳だが、ユウは彼の弟子になったことを後悔していない。それどころか、カロンは見ず知らずのユウに対して随分と親切にしてくれたように思う。師匠として魔法の勉強を見てくれたのはもとより、衣食住のすべてを惜しげもなく提供してくれた。生活水準としては、故郷の港町にいた頃よりも格段に上がっているだろう。そのせいで、若干太った気がしないでもないが。  ユウが過去を思い返しながら惰性で歩いていたため、急にカロンが道を外れたのに気が付くのが遅れた。  慌ててその背中を追い、横に並ぶ。道を外れた理由は前を見れば明白で、まだ遠くはあるものの、詰所と思われる建物が見えてきていた。振り返って元いた道を視線で辿ってみると、今歩いている野外演習場の外周に沿って大回りをしているのがわかった。 「さて……」  それから十数分歩き、広大な野外演習場を横切った先にある建物の前でカロンは立ち止った。 「月乃、いるか?」  木製の扉を叩きながらカロンが呼び掛ける。生徒が教官の名前を呼び捨てにするのはいかがなものかと思うが、カロンもツキノも気にした様子はないし、何よりも旧知の間柄というのが大きいのだろう。  しばらく音がしなかったが、やがて、木製の床を固い靴底で歩く音が聞こえ、内側に扉が開かれた。顔を覗かせたのは目当ての人物であるツキノではなく、小柄な、ともすれば生徒よりも背の低い童顔の女性が顔を覗かせた。髪色は濃い茶色で、瞳はうぐいす色。 「足音が軽いと思ったらミリアだったのか。ツキノは?」  いささか無遠慮なカロンの物言いだが、小柄な女性、ミリア・ハルメン魔法教官は気にした風もなくにっこりと笑い、 「もうすぐ来るわよ。ちょっと準備に手間取ってるだけだと思うから」 「準備?」 「ええ。もしかして、呼ばれた理由聞いてない?」  カロンは無言で頷いた。ミリアは困ったように溜め息をつき、それから踵を返して中に入って行った。 「こら、ツキノ! いくらカロンくんでもちゃんと理由言わないと迷惑でしょ!」  閉ざされた扉の中からミリアの声が響いてくる。思わずカロンとユウは顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。 「私に迷惑が掛かる用事なのか?」 「さあ……あたしに訊かれても」 「それはそうだな」  カロンはそっと溜め息をつき、頭を掻いた。しかし、いくらツキノの親友とは言え、ミリアがここにいるのは珍しい気がする。  それから数分待たされ、ようやくツキノが姿を現した。 「いや、すまない。こちらも準備に手間取ってしまってね」  口では誤っているが、表情は物凄く晴れ晴れとしている。高い位置で結った長髪が尻尾のように揺れていた。彼女は東方の半島に位置する桜花皇国の出身で、それを示すように髪と瞳の色は黒。だが、均整のとれた体つきは小柄な人が多い東方人とはかけ離れているように思う。 「で、何の用だ?」  つっけんどんに問うと、ツキノは懐から懐中時計を取り出して時刻を確認し、 「もうすぐ着くころかな。そしたら説明するよ」  そう言って、視線を演習場に向ける。ユウも釣られてそちらに目を向けると、何やら数人の生徒が歩いてくるのが見えた。 「来た来た。じゃあカロン、行こうか」  カロンはツキノに背中を押されるままに歩き出し、その後ろをユウとミリアが続く。  演習場には合計十人の人間がいた。カロン、ユウ、ツキノ、ミリアの四人と後から演習場にやって来た六人の男子生徒。体格がいいためか、ユウはやや圧倒されていた。 「で、用事っていうのはこいつらか?」 「ねえ、あんたが吹っ掛けてきたんだから、そっちから説明しなさい」  ツキノが男子生徒たちの中心に立っていた一際体格の良い人物に声を掛けると、彼は一歩前に進み出て、 「オレたちは魔法武技(アルティアム)を専門的に習得している同志でな、一つツキノ教官に手合せ願いたいと思ったのだが」  そこで言葉を切ってツキノとカロンを交互に見遣る。 「どうしても手合せしてほしかったら、弟子を倒してからにしろ、と言われたのだ」  カロンの眉がぴくりと動き、目だけを動かしてツキノを見る。 「何時、私は月乃の弟子になった?」 「いやー、同門の弟弟子なら私の弟子も同然だろ? だからと思ってな」 「全然違うと思うがな。まあいい」  軽く溜め息をつき、それから男たちを臆することなく見回して、 「要するに、私がお前たちに負けなければツキノの体面は保たれるということか。久しぶりに体を動かすのも吝かではないし、引き受けてもいいが……ルールはどうする?」  問いかけはツキノと男たちの双方へ。  魔法武技(アルティアム)は簡単に言えば魔法を使った戦闘競技のことだ。  ツキノを交えて数言言い交わすと、男たちとカロンは離れて立つ。 「じゃあ、代表選ということで、そっちの代表がカロンに勝ったら、私が直々に相手してやる。負けの診断は戦闘続行が無意味と私が判断した場合と降参を認めた場合だ。双方、それで構わないな?」  全員が無言で頷いた。ユウはミリアに促がされ、演習場の戦闘区域外に出る。  六人が輪になって代表を誰にするかを話し合っている。その間、カロンは手足をぶらぶらと動かしたりして、体を解している。 「武器とかって使わないんですか?」  そう問うと、ミリアは首を横に振って、 「普段は使うよ。でも、二人とも格闘主体だから、あんまり武器は使わないかな」  そうこうしている内に、代表が決まったらしく、一人の男が進み出て来た。彼は先ほどカロンに対して今までの事情を説明していた一番体格の良い男だった。残る五人はユウたち同様戦闘区域外に出る。それを確認したツキノはミリアに合図を送り、彼女はそれを受け、 “――風地火水、四属の理を以て境界と為し、如何なる物をも阻み、我等を守護し給え。Grenze”  跪いて、戦闘区域とこちらを区切る線に手を触れると、翠、橙、紅、蒼の四色の光が線上を走り、再び円を描いて戻ってくると、一瞬戦闘区域内の様子が歪んで見えた。 「ツキノ、これで大丈夫よ」 「ありがとう。では、始めようか」  カロンと男は少し距離を置いて向かい合い、ツキノはその二人の間に立って右手を挙げる。 「二人とも、武器はいいのか?」 「……そもそも用意してない」 「いらぬ」  前者がカロンのぼやきで、後者が男の決然とした声。ツキノは肩を竦め、それは悪かったとカロンに言う。 「まあ、なくても負ける気はしない。早速始めよう」 「オレとて負ける気はない。ツキノ教官、合図を」 「やる気は十分っと。じゃあ」  ツキノの目がすっと細まり、両者が軽く身構える。  ユウは静寂を感じた。ぴんと張りつめた空気がそう感じさせているのだと気付いた瞬間、ツキノの手が鋭く振り下ろされた。  男が牽制するように一歩前に出る。カロンはそれに対して一歩後ろへ。両者の距離は差し引きゼロ、目立った動きはない。男の方は視線が目まぐるしく動き、カロンの隙を窺っているようだが、カロンはじっと相手の表情を見据えている。  数瞬の間の後、先に動いたのは男の方だった。いくら窺っても隙を作らないカロンに対し、自ら動くことで戦局を変えようとしたのか。  その巨体に見合わぬ速度で迫り、拳を振り抜く。それはカロンは受けようとはせず、身を回してそれを避け、さらに回転の勢いを利用して踵が男の首筋を刈る。  一瞬、男の体が沈みかけたが、寸でのところで気を持ち直し、大地を力強く踏み締めて体を支えた。  カロンは身軽に後ろへと跳び、距離を取り直す。その間に男も体勢を立て直し、再び構え直す。  今度踏み込んだのはカロンだった。低く、滑るように男へ迫る。全身のバネ使って身を跳ね上げ、掌底が顎を確実に捉えた。地面から足が離れ、巨体が浮いた。そして、鋭く身を回し、さらに肘を胴へと叩き込まれた。男の身がくの字に折れ、肺の中の空気が漏れる。  だが、カロンは攻撃の手を止めなかった。右手が空中にまだある男の体に差し伸べられ、掌が胸に置かれる。 “――遍く大気よ、我が手に集いて爆ぜよ。”  魔法陣が瞬時に展開し、その直後に爆発音がして男の体が重さを無視したような勢いで吹き飛ぶ。  数回地面を跳ねてからさらに数メートルを転がって男の体はようやく止まった。いくらなんでもやり過ぎではないだろうか。そう思ってユウがおろおろしていると、そんな心配は余所に、男は顔をしかめながら立ち上がった。 「どうやら、オレではまともに太刀打ちできないのか。では、玉砕覚悟で行くしかない」  男は着ていた上着を脱ぎ捨てると、全身の筋肉を隆起させた。縄のように盛り上がる筋肉が彼の体を大きく見せる。 “――我が骨肉に滾るは大地の加護。そして、我が四肢に宿すは荒ぶる獣の爪牙。我、大地を駆りて獲物を屠る者。Theriomorphosis!”  足元に展開した魔法陣は浮き上がり、足元から頭の先までを通過していく。魔法陣が通り過ぎた後の体は人のものとは思えない程筋肉が増大し、手足の指先には長大な鉤爪が備わっている。 「獣化か。まさに肉体が武器という訳だ。面白い」  この間に攻撃すれば倒すのも容易いだろうに、カロンは楽しげに声を上げ、構えを解いた。 「なら、私も魔法使いらしく、体術は抜きでやってみようかな」  獣化の完了した男と構えを解いて相手を誘うように両腕を広げたカロンが向かい合う。  普通、この距離なら魔法を使うよりも直接攻撃した方が早いだろう。獣化して獣の性質を得ているなら、さらに速い筈だ。だというのに、カロンは好戦的な笑みを浮かべ、審判役のツキノも楽しそうだ。 「これってどっちが有利?」  横のミリアに問いかけると、彼女は首を傾げ、 「一般的にはポラックくんの方が有利に見えるよね。でも、問題となるのはカロンくんの魔法実行速度かな……でも、わたしはカロンくんを知ってるから。どっちが有利かと言われれば圧倒的にカロンくんだろうね」 「そう、なんだ……」  先生にそうまで言わせるカロンの実力の片鱗は先ほどの連撃から窺えるが、獣化した相手にどこまで通用するものなのだろうか。  咆哮を上げ、鋭い爪を振り上げて襲いかかった男に淡い笑みを見せ、カロンは朗々と、 “――我は狩人。汝は獣。我が弓は汝を討てと欲す。矢は汝の命を欲す。なれば弓に番えし告死の矢は汝の胸に。Schiesen”  それは謳うようで、そして、力に満ちた詠唱。詠唱に導かれた魔法陣は瞬時にその像を結び、即座に効果を発揮する。その工程は鮮やかで、無駄は一切ない。  カロンと獣化した男の間に現れた魔法陣は中心から光の矢を放ち、空中に在った彼を射落とした。  巨体が襲いかかった勢いのまま地面に激突し、地響きを立てる。 「ポラック、大丈夫か?」  すぐさまツキノが駆け寄り、容体を確かめる。気は確かなようで、しっかりと頷きを返している最中、獣化していた肉体が穿たれた個所を中心に元へと戻って行く。 「まさか、単純な魔法力の違いで圧倒されるとは思ってなかった。オレもまだまだということか」  ポラックというらしい男は元の姿に完全に戻り、その口にどこか嬉しげな笑みを浮かべながら立ち上がる。カロンは手を貸す訳ではなかったが、立ち上がった彼に対して手袋をしたままの手を差し出した。 「あの獣化の魔法は悪くない。もう少し耐久力があったら、さっきの魔法にも耐えられた筈だ」  上から目線ではあったが、ポラックは気にしていないようで、手を強く握り返し、 「さすがに四年前の首席に勝とうなんざ、気の早い話だったようだ」  明るく笑う。どうやら、カロンと知って挑んでいたようだ。 「さて、今回の勝負はここまでということでいいかな?」  傍観していたツキノが口を挟むと、両者は揃って頷き、それに合わせてか、ミリアは戦闘区域とこちらを区切っていた魔法を解く。  ユウはカロンに駆け寄り、 「正直よくわからなかったけど、なんかすごかった」  思いのままに告げると、カロンは呆れたように眉をあげ、 「お前もあのくらいの芸当は出来るようになって欲しいものだな」 「そ、それは……」 「冗談だ」  彼はユウの頭を乱暴に撫でる。ユウはされるがままにしていたが、あまりに髪が乱れるため、身をよじって逃れる。 「じゃあ、用は済んだ訳だし、私は帰らせて貰う」  服の埃を軽く払いながら言うカロンに対し、ミリアが、 「せっかくここまで来たんだし、お茶でも飲んでいかない? もちろん、ポラックくんたちも」 「オレらもですか? まあ、誘われたんだし、相伴にあずかります」  カロンくんは? という風に視線で問われた彼は頭を掻き、 「わかった。用事もない筈だし、付き合おう」  一行は連れ立って教官詰所に入り、一階の応接室に通された。魔法武技(アルティアム)の同志たちはひとかたまりになり、先ほどの戦いについて論じ始め、カロンはソファに足を組んで座る。ユウはどうしたものかと迷ったが、結局カロンの横に腰掛けることにした。 「お疲れさま……って、疲れたのかしらないけど」  正直な話、全く疲れているように見えない。カロンは小さく笑みを浮かべ、 「多少は疲れるさ。ただ魔法を使うだけならまだしも、相手との駆け引きが必要なのが戦いだ。ユウは今日の試合を見てどう思った?」 「どうって言われても……結構短い試合だったのかな、とは思うけど。駆け引きとかそういう技術的な所はちょっとわからないな」  軽く思い返してみても、最初ポラックが一撃を加えようとしたが、結局カロンの反撃になすすべもなかったようにしか見えない。最後にポラックが獣化したところをカロンが魔法で撃ち抜いて終わった訳だ。試合としては見どころの少ないものではないだろうか。 「まあ、初めて見たらそんなもんかね」  ポラックが輪から抜け出してきて、ユウの向かいに立った。体が大きいせいで少し圧迫感がある。 「力の差がありすぎて、ほとんど勝負にならなかったが、試合の基本は押さえてたと思うぜ。お互い力を見極めてから決め技を一発」  言われてユウはなるほど、と思った。手の内のすべてはわからないにしろ、どの程度『やれるか』は軽く手を合わせればわかる。そうすれば、打つべき手は大体決まる。 「それで打った手が獣化?」 「あれが最善手とはいえないけどな。だが、あの場で勝負に出るとしたら、得意な技にした方が勝率は上がると思ったが、結局、根本的なところで勝てなかったようだ」  笑みは苦いが、後腐れの類はなさそうで、こういう競技者は結構さっぱりとした性格をしているのかもしれない。 「茶が入ったぞ」  ツキノがお盆に器を載せて危うげなく歩いてくる。このあたり、流石に武技を教えているだけはある。  供されたのは薄緑色の湯気を立ち上らせる液体。カロンはその正体を確かめることもなく器を手に取り、啜った。 「ふぅ……」  ユウがその様子をまじまじと見ていると、カロンは胡乱そうにユウの顔を見て、 「熱いうちに飲まないともったいないぞ」 「あ、うん……」  促され、ユウは未知の液体に口を付けた。鼻に香るのは紅茶のような華やかさはないが、心を落ち着かせる芳香。口に含んだ液体は苦みの中にわずかな甘みを内包していて、未知の味わいではあったが、なぜだかほっとした。 「ユウ、お前もしかして緑茶は初めてだったか?」  給仕を終えたツキノはユウの隣に腰掛け、自分の分のお茶を啜った。 「うん、はじめてだよ」 「そうか。なにも考えずに出してしまったな」 「大丈夫。はじめてだからなんだろうとは思ったけど、美味しいし」 「ならよかった。ところでカロン」  ユウを挟んでツキノがカロンに話しかけた。彼は一口お茶を飲んでから、ツキノの顔を見返し、続きを促す。 「お前、さっきの魔法かなり手加減しただろう」 「とんだ誤解だな。これのせいで力が出せないんだよ」  カロンが両腕をつなぐ鎖を鳴らして見せる。彼自身があまりに普通にしているために気にしないが、両腕には常に鎖がある。 「復学の条件、だったか?」 「私は復学させてくれなど、一言も言ってないのだがな……」 「それだけ惜しい人材、ということですよ。議長に期待されているんですから、がんばってくださいね」  そう、その鎖はカロンが復学するにあたって、グランベル市議会議長、ディーノ・グランベルがカロンに渡したものだ。無論、彼の言う通り、彼自身は積極的には復学しようとは考えてなかった。 「しかし、鎖とはな。まるで犯罪者だ」  ツキノがからかうように言うと、カロンは皮肉気な顔になり、 「あながち間違っていない辺り、笑えないぞ?」 「そう拗ねるな」 「私が拗ねるような人間か?」 「そうだったら可愛げがあっただろうな……」  しみじみと呟くツキノにカロンは呆れの表情を浮かべる。ポラックは苦笑するだけで、流石に言葉は挟めないらしい。 「では、オレたちはそろそろ帰ります。今日はお手間を取らせました」 「別にいいさ。実際に戦ったのはカロンだしな。礼ならこいつに言っとけよ」  ツキノの言葉にポラックはカロンへと向き直り、軽く頭を下げて、 「いつかまた手合せ願うと思う。その時はよろしく頼む」 「ま、そのうちな。私も学院に来たからにはやることをやらなければならないしな」 「ああ、おいおいでいい。では、今日はこれで」  ポラックたちは各々ツキノとミリアに挨拶をしてから詰所を出て行った。  少し静かになった詰所。他には人がいないようで、ユウたちがお茶を飲む音以外、時折外から鳥の声が聞こえてくるくらいだ。 「さて、本題に入ろうか」  唐突に、ツキノがにっこり笑ってそう言った。何を突然、と思ってユウが彼女の顔をまじまじと見る。 「ん? なんだ、ユウ?」  実に楽しそうに笑う人だ。 「いえ、あれで用は終わりなのかと思ってたから」 「そうではなかったらしいな」  完全に諦めた口調でカロンが同意すると、ツキノは不本意そうに、 「何を言う。お前が頼んできた要件だろう?」  その言葉にカロンは軽く目をみはり、 「もう準備出来たというのか? まだまだかかると思っていたが……」 「私を舐めるなよ? 可愛い教え子のためなら、努力は惜しまんさ」 「なんの話?」  どうやら、カロンがツキノに頼みごとをしていたらしいのはわかるが、内容はさっぱりだ。 「聞くよりも現物を見た方が早いわ。ちなみに、今朝出るのが遅れたのはこれがあったからよ」  そう言って、彼女は一度立ち上がってからどこかに行ってしまう。  ミリアも要件はわかってないのか、 「ツキノになにをお願いしたの?」 「見てからのお楽しみ、ということで」  少し意地悪く言うカロンにミリアは頬を膨らませて見せる。 「可愛いが、あんまりそういう表情外ではしない方がいい」 「う……そ、そう?」  しっかりと頷くカロンに、ユウも首肯することで同調した。ミリアは項垂れ、それから焼き菓子に手を伸ばす。 「それ以上は成長しないんだから、横に大きくなるぞ」  戻ってきたツキノがからかうように言うと、ミリアの手がぴたりと止まる。 「みんなのイジワル……」  口をとがらせて拗ねて見せるミリアのことを素直に可愛いと思ってしまうユウだった。年齢的にも立場的にもミリアの方が上の筈ではあるが。  再び椅子に腰掛けたツキノが手に小さめの箱を持っているのにユウは気が付いた。 「今朝届いたばかりでな、私も現物を確かめてないから少々不安は残るが――」  施錠してあった古びた箱に鍵を差し込み、開錠する。見た目の割に重い音を立てて鍵が外れ、蓋が少し浮く。その隙間から、わずかだが光が漏れていた。脈を打つように緩やかに明滅する光。ユウは思わずその光に手を伸ばしていた。  ツキノ蓋を開くと、そこには硬貨大の透明な結晶の中に四色の光が浮かぶ不思議な石があった。 「これは……?」  手を伸ばしたものの、なんだか怖くなって引っ込めてしまった。振り向いてカロンに問うと、 「天然の精霊石だ。お前の媒介用にと思ってな」 「精霊、石って……ええっ!?」  思わず体ごと振り返り、カロンに詰め寄ってしまった。カロンの言っていることは理解出来る。だが、普通媒介は学院の入学時に適正に合わせて配布されるものがほとんどだ。だが、カロンはそれに先駆け、精霊石を媒介としてユウに渡すと言っているのだ。  しかも、精霊石というのは、まさしくフロイスの信仰対象である精霊にまつわるもの。当然、希少性は高い。どんなに低位の精霊石でも人が半年は食べることが出来る程の値段で取引される。 「そんなに驚くことか? 私の媒介もそうだぞ」  そう言って、手袋を外して、右手の中指に填まっている指輪の石を見せる。それは常に色が変化する不思議なもので、見ていると吸い込まれそうになる。 「神煌幻珠。等級で言えばまさしく第一等級。そして、そこにある四煌宝珠は第二等級だ。少しは喜んこんだらどうだ?」  揶揄するように言われ、しかしユウは、 「だいに、と……きゅ」  驚きすぎて何を考えていいのかわからない。  媒介は十の等級に割り振られる。厳密には等級の中でもさらに細かな区分けがある。通常、学院で配布されるのは第九か第八等級。余程成績がよくて将来を期待されたとしても、第七等級がもらえるかどうか。そして、金に任せて高位の媒介を手に入れたような貴族でもせいぜい第四等級ぐらいが関の山。それは金銭面の問題ではなく、才能の問題。いくら金を積もうとも、使えない媒介は無用の長物ということだ。すなわち、上位三等級は扱える人の存在そのものが幻と言われるほどの媒介だ。  ユウは心を落ち着かせようと、緑茶を呷って、しばらく顔を手で覆って俯いた。 「なあ、月乃。そんなに驚くようなことか?」 「お前の価値観のズレは相変わらずだな。普通の魔法使いなら第三等級だと聞いただけで失神する程だろう?」 「そうねぇ……ユウちゃんはまだ魔法使いではないけど、媒介、それも精霊石の価値だけは一般人でも常識だものね」  三人の会話を右から左に聞き流し、しばらく頭の中を空っぽにした。  数分経った頃だろうか、ようやく落ち着いてきたので、もう一度冷めかけた緑茶を口に含んで潤してから、 「わかった。これが第二等級なのはわかったよ。でも、これは受け取れない」  カロンの目をしっかりと見据えながらそう告げると、彼は肩を竦め、ツキノに視線を遣る。それを受けてツキノが頷き、ユウの顔を無理やりツキノの方へと向ける。 「ちょっとこっち向きなさい」 「もう向いてる。というか、それ以上捻ると首が……」  首が変なことにならないうちに体ごと彼女の方を向いた方が良さそうだ。慌ててツキノに向き直ると、彼女はじっとユウの目を覗き込んで、 「実はこの精霊石ってもともとカロンのものなのよ。でも、カロンはすでに第一等級のを持ってたから、条件付きで人に貸してたのよ。それを今朝がた返してもらった訳。で、それを貴女に託したいって言ってるの」  彼女はそこで言葉を切り、 「そもそも、この精霊石はとある理由で精霊からカロンに渡されたものなの。渡された理由はただ一つ。この石に相応しい人物にこれを渡すため。わかった? カロンは貴女がこれに相応しいを思ってる」 「精霊……から?」 「ええ、四年ほど前にね」  ユウは視線を箱に収まったままの精霊石に向けた。四色の光に心が吸い込まれそうだ。 「じつを言うと、その光は媒介の共鳴光だ。つまり、この場にそれに相応しい人物がいるということだ。ちなみに、私は共鳴光は出なかった」  ツキノが言ったことを鵜呑みにすれば、これはユウのためにあるということだ。 「さらに言えば、私にも反応しなかった。ミリアは知らないがな」 「多分、わたしも違うよ。共鳴は媒介側だけの反応じゃないもの」  ユウは唾を飲み込もうとして、口の中が乾いていることに気が付いた。  震える指で光を明滅させ続ける精霊石に手を伸ばし、そして、触れた。  自分の中で何かが弾ける感覚があった。そして、世界の見え方が急速に変化していった。今まで見えなかったものが見える。それは、淡く色づいた靄のようなもので、部屋のあちこちを漂っている。そして、靄よりも濃密なものがツキノやミリアの体を薄く覆っている。カロンはと目を向けると、靄のようなレベルではなく、もっとはっきりした形をしたものが彼の背中にあった。 「翼……?」 「見えたか」  カロンが困ったように笑い、それから、ユウの触れてる精霊石に手を伸ばし、 “――気高き龍の魂よ。彼の者を使い手と任じるならば、其の力を与えよ”  そう唱えると、精霊石か何かが流れ込んできて、ユウの全身を駆け巡った。それは熱く全身を満たして、それから潮が引くように感覚が薄くなっていく。だが、完全にはなくならず、全身に何かがあるのがはっきりと感じられる。 「大丈夫か、ユウ?」 「へ? あ、うん」  未知の感覚にぼうっとしてしまい、カロンに声を掛けられて意識がはっきりとした。 「おめでとう、ユウ。これでお前も魔法使いの仲間入りだな」 「おめでとう」  ツキノに抱き締められ、ユウは曖昧に頷いた。おそらく、今全身を満たしているのが魔法の力。  ツキノの肩越しに見える世界はそう大きく変わった訳ではないが、少し意識すれば、さっきと同じように薄く靄のようなものが見える。 「ああ、魔素を視ているのか。どうだ、世界の見え方は?」 「不思議。今まで何もないとしか感じなかったのに、今は世界に存在が満ちているのを感じる」 「魔法というのは存在に対して働き掛ける力だ。使い方を誤れば世界が揺らぐ。そのことを覚えておけ。だが、お前に世界を思う気持ちがあるなら、そんな心配は要らないがな」  カロンの忠告を胸に刻んで、ユウはツキノの抱擁から逃れた。  ユウはカロンの方に向き直り、頭を下げた。 「こんなにすごいものをありがとう。大切にするから」 「私は約束を果たしただけだ。だが、絶対になくすなよ。そのためにこれに入れておけ」  そう言って差し出されたのは、撫子の彫金がなされたペンダント。ヘッドの部分は蓋が開くようになっており、中に宝石を固定できるように爪が付いている。 「これとその精霊石があれば、それだけでかなりの加護になる。肌身離さず持っておけ」 「これは?」  すごく用意がいい。ペンダントの出所を訊くと、ツキノが後ろから抱きついて来て、耳元で囁く。 「カロンのお手製だ」 「へっ……」  間の抜けた声が漏れた。器用な人間だとは思ったが、ここまで出来るとは思わなかった。  ユウはペンダントを胸に抱き、カロンの顔を見ないまま、 「ありがとう」 と、それだけを言う。 「ああ。これでお前も晴れて魔法使いの仲間入りだな。これから魔術師、そして魔導師になれるかはお前の研鑚次第だ。頑張れよ」  頭を撫でられてユウは余計に彼の顔を見れなくなってしまった。        ∴  カロンはまだツキノ達と話していくと言ったので、ユウは一人来た道を戻る。まだ時間は珠分にあったので、友人を探そうと心当たりの場所を見て回った。しかし、結局見つからず、寮として割り振られた一軒家に戻ることにした。  この一軒家は通常の寮とは別に学院側が用意したもので、どちらかというと、ユウではなくカロンのためのものだ。というのも、議長がカロンの入学に便宜を図ったためであり、この寮もその一環なのだ。ただ、部屋が余っているため、ユウとカロンの友人であるリックと一緒に住むことにしたのだ。 「ただいま〜。誰かいる?」  寮に帰って声を掛けると、 「あら。ユウちゃん。どこに行ってらしたんですか?」  思わぬところで探し人の声を聞くことになった。 「カエデっ! そっちこそどうしてここに? 探してたのに」 「あら、ごめんなさい。リックさんに誘われたもので」 「あ、そうだったんだ」  理由がわかれば単純で、道理で探しても見つからない訳だ。  ということは、リックは当然いて然るべきなのだが、声を聞かない。 「リック?」  不審に思って彼の名を呼ぶと、奥から物凄い音が響いて来て、 「ちょ、待って。今行く! 痛ぇ――」  何やら慌てた感じのある彼の声が聞こえた。ユウは首を傾げ、騒音のした方に足を向ける。居間からはカエデがカップ片手に出て来て、ユウの顔を見てから首を傾げ、 「いかがなされたんでしょうね?」 「さあ、でも助けに行った方がよさそうだよね」 「そうですね」  カエデは一度カップを置きに居間に戻り、それから長い包みを持って戻ってきた。  カエデ――蘆野楓はフロイス連邦の遥か東方の半島に位置する国、桜花皇国の出で、ある筋では有名な家計の血筋らしい。そうカロンから聞かされた。彼女自身は自らの出生についてはなにも語らないので、ユウも深くは訊こうとは思わない。別に知らなければ友達でないなんてことはないのだから。  彼女の容姿はひと言でいうなら可憐だ。背中半ばまでの波打つ栗色の髪と東方人特有の漆黒の瞳。いつも優しい微笑みを浮かべているさまは同性から見ても可愛いと思ってしまう。ただ、ユウとして羨ましいのは胸の大きさ。ユウも決して小さいわけではないが、彼女と比べるとどうしても見劣りしてしまう。何かしらの動作をするたびに揺れる胸とはいかがなものだろうか。  思わず胸を注視していたユウの視線に気が付き、頬を染めて隠そうとする。その姿は思わず抱きしめたくなるぐらい可愛いが、ユウはその考えを自制し、リックがいるだろう工房にカエデを促して歩き出す。  ユウが工房の扉を恐る恐る開くと、中は大量の荷物が雪崩を起こし、リックはそれに巻き込まれたらしい。この大量の荷物はカロンたちがもともと住んでいた旧魔法街の店にあったものを昨日運び込んだもので、片づけが出来て居なかったものだ。 「大丈夫?」 「ああ、生きてるし大丈夫だろ」  そう言いながら彼は体の上に乗っていた工具の類を払い落とし、その身を起こす。 「あんまり重いものじゃなくてよかったね? いくらなんでも死体の発見者にはなりたくないし」 「まあ、な……でも、これだけ量があると結構痛いんだぜ?」  手にした小さめの工具を投げて寄こしてくるのをユウは両手で受け止めた。それは見た目よりもずっしりしていて、確かにこれが大量に降りかかってきたら痛いに決まってる。 「で、リックは誘った客人を放り出して、ここでなにしてたの?」  カエデの話を思い返して問うと、彼は困ったように焦げ茶色の髪を掻き、 「ちょっと渡すものがあったんだけどよ、まだ整理してないから見付かんねぇんだよ」  そういうことか。リックは無精髭の生えた顎に手を当て、積まれた数々の箱を見回す。 「手伝おうか?」 「あー……そうしてくれるのは嬉しいがさっきみたいに崩れるとあぶねぇからいいよ。二人は居間でお茶でも飲んでてくれ」 「一人で見つかりそうなの?」  問うと、リックは腕を組んで、さらに首を傾げ、 「……無理かもな」 「でしょ。だったら手伝うから。なにを探してるの?」  ユウは制服の袖を捲る。リックは手振りを交えながら、 「こんくらいの銀色の球体がいっぱい入った箱なんだけどな。どんな箱に入れたのか覚えてねぇんだよ」 「わかった。とりあえず、あたしは手当たり次第開けてくから」 「おう」  二人がかりで捜索を続けるが、箱の数が多すぎて作業が思うように進まない。いや、進んではいるのだが、肝心のものが見つからない、というべきか。  カエデも見ているだけでは手持無沙汰だったのか、捜索に加わり、それからおよそ十分後、カエデが大量の荷物の中から探し当てた。 「いや、助かった。一人だったら夕方までかかってたかもな」 「なのにカエデちゃんを呼んだわけ?」  ユウがジト目で見ると、リックは怯んだようになり、それからしゅんと肩を落とす。 「すいませんでした」  カエデに向けて謝ると、彼女は大げさなぐらい首を横に振って、 「いえ、めっそうもない。顔をあげてください。わたしのためにしてくれていたんですから、謝ることなんてないですよ」  胸が揺れてるな、とユウは思ったが、それは口に出さず、 「で、それってなに?」  木箱に大量に詰められた銀色の球体を指差すと、リックはそれを箱ごと抱え上げ、 「説明するよりも見てもらった方が早い」  なんだかカロンみたいだな、とは思ったが、先に工房を出て行くリックの後に黙って付いて行く。 「なんでしょうね。少し楽しみです」  カエデは未知のものへの興味が止められないのか、にこにことしている。ユウもつられて笑う。確かにあの銀色の球体はなんなのか、気にならないと言えば嘘になる。  居間に戻った後、リックはお茶の用意をしてからユウとカエデの座っているのの反対側のソファに腰掛ける。 「で、それはなに?」  ユウが口火を切ると、リックは少し笑ってから、 「こいつは魔法具の一種でな。まあ、もちろんカロンが造ったやつだが」  一つを手に取って、表面をすっと撫でて見せると、銀色の球体が『解け』、小さめの楯へと姿を変えた。 「それは――」  カエデが驚きの声を漏らす。ユウは声を上げる事すら忘れてリックの手元を見入っていた。 「こいつは陽炎の楯。認識阻害を起こし、相手に狙いを付けさせない防具だな。しかし、一目見ただけでこいつのことがわかるなんて、やはり嬢ちゃんはその血筋のもんってわけか」 「ええ、まあそれは否定しませんが。しかし、それは本物ではありませんね? 時の経過が感じられませんから」 「ハハ、そこまでわかるか。こいつは驚いた」  にやりと笑い、リックはカエデへ楯を投げて寄こした。その途中、楯は元の球体へと戻り、カエデの手にしっかりと受け止められた。 「封印の解除が維持されるのは解呪者が魔素を流し込んでいる間だけ。供給を断てば球体に戻る」 「なるほど。持ち運びには便利そうですね。しかし、これをわたしに?」 「正確にはそれじゃないがな。えーっと……これ、かな?」  箱を漁り、もう一つの球体を取り出すと、それを再びカエデに投げて寄こす。彼女はそれを危うげなく受け取り、しげしげと眺めてから、 「これは?」 「さあ、なんだろうな? とりあえず、解呪してみるといいさ。でも、人から離れてな」  言われた通りに離れ、左手に握った球体へ指を滑らせる。  すると、先ほどと同じように球体が解け、そして、 「刀、ですか……しかもこれは」  彼女の言う通り、それは『刀』と呼ばれる桜花独特の武器である細身の湾曲刀だった。 「そう、《蛟》だ。無論、機能を似せた偽物だがな」  答えたのは戻って来たカロン。カエデは彼の登場そのものには驚いた様子はなかったが、言葉には興味を惹かれたらしい。 「さきほどの楯もそうでしたが、なぜわざわざ偽物を?」 「ただの暇つぶし、って言って信じるか?」 「ある程度は。しかし、これらのものは暇つぶし程度で造れるものとは到底思えませんが」 「さて、それはどうかな?」  意地悪くカロンは笑い、 「それはやる。好きに使うといい」 「……では、これはありがたくちょうだいします」  カエデは魔素を注ぐのをやめ、刀が球体に戻る。  カロンは入口から歩いて来て、リックの隣に腰掛ける。その彼へ向け、カエデは、 「学園に戻って来たということは、また魔法具の研究を再開されるのですか?」 「まあ、それが議長の命だしな。とはいうものの、何を作ろうか悩みどころではあるが」  苦い顔で球体を弄ぶカロン。その表情をしばらく見つめてからカエデは切り出した。 「では、わたしからの依頼を受けていただけますか?」 「依頼、ね。それにわたしたちということは、フォルの依頼でもあるということか」 「ええ。手が空いているなら、でかまわないとフォルさんは言ってました。ですので、お暇なときにフォルさんの工房に来ていただければ、と思います」 「この場で訊くことは出来ないのか?」  カロンの訝しがる声に、カエデは苦笑を漏らし、 「実を言うと、わたしもよくは聞かされていないんですよ」 「それでもわたしたち、と言ったのか? それは矛盾してないか?」 「わたしのためのものだ、とフォルさんはおっしゃっていたので、間接的にはわたしの依頼でもあると思います」 「なるほどね」  得心した、と呟き、リックの分のお茶に手を付けた。リックは彼に半目を向けたが、ため息をついて、お茶を用意しに立ち上がる。 「では、授業が始まるまでには一度フォルの工房を訪ねてみよう。それでいいだろ?」 「ええ。よろしくお願いします」  ぺこりと頭を下げ、それからカロンににっこりと笑いかける。しかし、彼は眉一つ動かさず、鷹揚に頷いたのみだった。  それから後は特に医らの話にも触れることなく、リックが作りおいた焼き菓子に舌鼓を打ち、雑談に花を咲かせただけだった。  カエデが寮に戻る帰り際、カロンは思い出したように腰の物入れを漁って、一つの包みを手渡した。 「入学祝、ってところだ。ユウにもあげたから、一応な」  こういうところが妙に公平だ。それが顔に出てたのか、カロンは呆れを見せ、 「お前にはもうあげただろ? これ以上何かが欲しいなら、それなりの成果を見せてからにしろ」 「そういうんじゃなくって……ああ、もういいよ。なんでもないから」 「?」  カロンは疑問符を浮かべていたが、突っ込んでも仕方ないと判断したのか、肩を竦めて追求はしてこなかった。その横でカエデは困ったような顔をしていたが。 「じゃあ、また今度ね。見かけたら絶対に声かけてね」 「ええ、また今度。はい、お見かけしたら、ぜひ」  互いに挨拶を交わし、カエデは初春の未だ暮れの早い、夕空の下を歩き出す。  ユウはそれを手を振って見送り、カエデはそれに応えるために何度も振り返って手を振り返してくれた。  姿が見えなくなるころには、すっかり闇の帳が辺りを包んでいて、ユウはカロンに促がされて中へと入る。  今日も一日、とても充実していたと、そう素直に思う。カロンに出会ってからの毎日は、何かしらの刺激がある。だから、感謝の気持ちを込めて、彼の背中を軽く叩いた。        ∴  カロンは先日のカエデの言葉に従い、学園の外にあるフォルの工房を訪れていた。  最初こそ警戒心を持って相対していたものだが、とある理由からいたく親近感の湧いた人物だ。  彼の工房はグランベル市の北側に位置する。そこには彼のだけでなく、多数の工房が存在している。それらの多くは宝飾品や織物を作成する工房だが、市場にほど近い位置には、食品の加工場もある。  カロンは市街を北へと向かいながら、道行く人々の視線を集めていることを自覚していた。黒尽くめの服装も無論目を引くだろうが、それ以上に注目されるのは両の腕を結ぶ鈍色の鎖の存在だろう。  カロンだって、街中を両腕を鎖でつながれた人物が闊歩していたら、間違いなく注目する。だが、今その状態にあるのはカロン自身であり、それ故に衆目を集めているのもカロンであった。  だがまあ、以前ユウに言った通り、気にするだけ無駄なのだ。だから、平静を装い、カロンは足早に目的地を目指した。  工房街に辿り着き、カロンは目を細めて建物を見回す。ここは一種独特な場所だ。通常の家より大きな建物が多いが、それらはその工房が作成する物品を加工するのに必要な道具を収めるために必要なものを内包するが故にだ。そして、臭いがまるで違う。  まだ獣臭さの抜けていない毛皮や、強い匂いを発する木材、そして、金属やその他物質が焼ける鼻を衝く臭いが混然一体となって、辺りを漂っている。  カロンはこの臭いが好きだった。別に、悪臭が好きなのではなく、この無秩序な、しかし、何かを作り上げるがために発されるこの臭いに愛着がある、と言うのが正しいか。かつては、ここと似た様な、しかし、もっと濃密な臭いを持つ場所があった。そこはとある政策によって取り潰しになり、今は閉鎖的な政府直轄の組織として稼働している。  そう、そこは『魔法街』。三百年も前に勃発した世界規模の大戦時に隆盛を誇ったグランベルの魔法技術の中枢。他国に類を見ぬ、優れた魔法使いが集い、日夜研鑚に励んだその場所は、今や犯罪の温床となるという理由で解体されてしまった。  そのことに一抹の寂しさを感じる。だが、それも一つの時代の流れなのだと、自身は思っていたが、彼女はそう思っていなかったようだ。  カロンは苦笑を零し、脳裏に浮かんだ人影を払い、目的の工房へと足を向けた。  そこはやや奥まった場所にあり、店舗を備える工房としては立地が悪いと言える。だが、そこの工房主はそんなことを気にもしていないようで、扉を開いたカロンに対して、 「やあやあ、待って居りましたよ。今か今かと思い、一日千秋の思いでしたとも。ええ、はい」  相も変わらず長い台詞を投げかける。カロンはややうんざりしながらも、彼の待つカウンターへと近付く。 「桜花の言い回しで言われても、いまいちぴんと来ないんだがな」  フォルの容姿はひと言でいえば細身。だが、痩せているという言い方は正しくない。例えるなら、山野を駆け巡る獣の細さ、とでも言えばいいのか。決して不健康な訳ではなく、贅肉が極端にないがために細く見えるのだ。  工房での仕事には筋力が必要な場合が多いので、その分しっかりと鍛えられているし、彼は自身で素材を取りに各地を巡ることも多いそうなので、その影響も多分にあるのだろう。 「元気そうだな、その口調の変わらなさを聞くと」 「ええ、息災ですとも。日夜稽古を欠かさず、また、趣味に生きる私が病に倒れる理由などないに等しいでしょう?」 「確かに」  狐目をさらに細めて笑うフォルに、カロンは苦笑を返すしかない。  さて、とカロンは前置き、 「で、楓の言い分だと、お前が私に何かを依頼したいようだが?」  世間話に興じるのも一興だったが、フォルの表情を見ると、何故かうずうずしていたから、早く本題に入りたいのだろうと察しカロンは依頼の件を切り出した。  狐に稲荷、とは桜花の言い回しだが、まさに狐のようなこの男はすぐさまこの話題に食らいついてきた。 「ええ、そうですそうです。貴方様にお頼みしたい事が御座いまして。こちらに」  急かすように促され、カロンは黙って彼に従った。  カウンターの向こう、木製の珠を糸でいくつも繋げ、それらを連ねた御簾のようなものの奥は、すでに工房の一角らしく、木くずや加工しかけの木材が無造作に置かれていた。  フォルは壁の一面に付けるように設えた大机に近寄り、その上に載せられた紙を示して見せた。  カロンは近寄り、その紙に目を通す。ひと言で言えば、設計図だが、 「……こんな物作って何がしたいんだ、お前は?」  読み込むに連れて、その目指すものの概要が見て取れたカロンは呆れをフォルへと向ける。  フォルはくすんだ金の髪を掻き、 「そんなに変ですかね? むしろ、私としてはこういう物はあって然るべきだと思うですが……」 「戦争をしている訳でもあるまいし、要らないとは思うがね」 「でも、魔物は危険でしょう? そういう意味では持っていてもいいのでは、と。お受け出来ませんかね?」  表情を曇らすフォルには目を向けず、カロンはさらに設計図を読む。  カロンの中ではすでに幾つかの思考が回り始めており、その思考をまとめるために一つフォルに問う。 「何処まで斬れればいい?」 「っ! では、受けて頂けるのですか?」 「質問の答えは?」  フォルの問いには答えずに、こちらの質問に対する回答を催促すると、フォルは眉根を寄せ、 「出来れば、ですが魔素構造体を斬れるのが理想です。そうでなければ、通じない魔物の類が居りますから」 「…………」  魔素構造体を切断できる剣。フォルが求めたのはそういう物だ。しかし、これを実現するのには障害がある。  理論もそうだが、それ以上に、 「精霊廟にどう言い訳する?」 「それは……」 「確かに、前文明ではこういった武器も平然と存在していただろうが……今は精霊廟が全てを取り仕切る世界だぞ」 「わかっています。しかし、それでも必要だと」  埒が明かない。技術的な問題はいくつか試行を重ねれば解決する自信はある。だが、魔物のみならず、精霊を斬ることが出来る剣の創造を精霊廟が許すとは思えない。  だが、眉間に深い皺を寄せているフォルにはそれなりの事情があることが感じられる。 「カロン殿、実は――なのですよ」  普段の軽薄ともいえる態度は鳴りを潜め、フォルは思い声で一つのこと告げた。  告げられた内容にカロンは言葉を返すことを忘れた。じっとフォルの顔を見つめ、真偽を確かめようとして、しかし、その表情の揺るぎなさから真実を悟る。 「では、これは……」 「はい、魔物などただの方便です。実際はいざという時のための切り札として」  カロンは内心で唸った。フォルの言う剣を作れば、それは精霊廟に対する背信行為だ。例え、それが自衛のためだとしても、だ。  だが、カロンとてだてに魔法界で生きている訳ではない。そういう噂があるのはリックを通じて常々聞かされていたが、フォルが言う程に深刻な事態になっているとは思わなかった。 「……わかった。作ろう」  カロンは葛藤を振り切り、ゆっくりと承諾の言葉を口にした。  フォルは最初驚いていた顔をしていたが、やがてその表情に安堵が滲み、 「ええ、ええ、それは大変嬉しいことです。では、どうか私たちのために一つお願いします。代金は言い値で構いませんので、どうぞご遠慮なく仰って下さい」  緊張の反動か、急に普段の饒舌さに戻ったフォルにカロンは笑い掛け、 「いや、この件は正式な依頼には出来そうもない。だから代金は頂けない。だが、その代わりと言ってはなんだが……」  カロンは一旦言葉を切り、フォルの表情を窺ってから、 「少々楓を借りてもいいだろうか?」  そう切り出すと、フォルは一瞬の戸惑いの後、急に笑い出した。 「ははは、貴方様という者が! まったく、深刻な顔で何を言い出すかと思いましたら……」  ひとしきり笑ってから、フォルは目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、未だ笑みの残る顔で、 「ええ、はい。その件に関しては大丈夫でしょう。楓も貴方様に対しては心を開いている。恐らく、本人としても問題ないでしょう」 「そうか」  未だに笑いの余韻に浸っているフォルに半目を向ける。 「まあ、どういう用向きで借りるかは問わぬのが華で御座いましょうかね。ええ、私もそんな野暮はしませんとも」 「酷い誤解があるようだが、ここで追及すると、私が負ける気がする」  しかし、フォルの表情はころころとよく変わるものだ。感受性豊かなのだろうが、一時は演技なのではないかと疑ったこともあったが、どうやら素らしいことがわかって以来、諦めにも似た心境になったものだ。 「では、今晩にでも作業に取り掛かるが、受け渡しは?」 「そう、ですね……どうせ楓の手に渡ることになりますし、貴方様から楓に渡してやって頂けますか?」 「まあ、そういうことなら」  それから少し細かいやり取りを交わし、カロンは工房を後にしようとする。  すると、フォルが、工房の奥から小さな包みを持って来て、カロンに手渡した。 「ちょっとしたお土産です。工房に入ってまで、手ぶらと言うのも少し怪しく見えるかも知れないので」 「念には念を、か」  受け取った包みを腰の物入れ入れようとして、しかし入らないことに気が付く。仕方なく、手に持って帰ることにして、 「では、今日は帰らせてもらう」 「ええ、では、よろしくお願いしますね。それと、楓にも元気でやれ、と伝えて頂ければ幸いです」  フォルに建物の外まで見送ってもらい、カロンは学園への帰途につく。